ローマの休日50周年記念 デジタルマスター版

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ローマの休日の舞台を巡る遺跡と場面 その4

コルソ通り・プレビシート通り

コロッセオを出たアン王女とジョーは再びベスパに乗って走りはじめます。まず、ピンチョの丘のトリニタ・デイ・モンティ通りを走るシーンが映されます。ピンチョの丘は、ジョーのアパートやスペイン広場の大階段の背後に広がる丘で、ローマの街を見おろすことができます。
次にアン王女とジョーが白大理石の建物に向かって走るシーンが映されます。しかし、アン王女とジョーこの建物が面した広場を右折したところで、警察官に止められます。交通整備の警察官の手信号を無視したからです。ジョーは、アン王女とベスパを残し、警察官の方に歩いていきます。ジョーと警察官が話している間、アン王女はベスパにまたがって、ハンドルを握ってみます。すると、ベスパが走り出してしまいます。それに気がついたジョー慌てて彼女を追いかけ、ベスパの後部座席に飛び乗る。
アン王女が運転するベスパは、版画を売る仮設店舗やオープン・カフェのテーブルの間を、物を壊しながら走り続けます。王女がベスパで暴走するシーンは「ローマの休日」の名場面の1つです。

2人が警察官に止められる前に走っていた大通りは、コルソ通り。ポポロ広場とヴェネツィア広場を結ぶ直線街路で、ローマのメイン・ストリートです。突き当たりに見えていた白大理石の建物は、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂である。アン王女がベスパで暴走を始めたのは、プレビシート通り。王女がベスパで暴走するシーンの背景には、ヴェネツィア宮、ジェズ教会、トッレ・アルジェンティーナ広場、カンピドリオの丘なども映されています。

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ベスパ

ベスパ (Vespa) は、イタリアのオートバイ・メーカー、ピアッジオが製造販売するスクーターの製品名で、イタリア語でスズメバチを意味します。
スズメバチという名前の由来にもなった理由は、甲高い2ストロークエンジン+ハンドシフトによるマニュアルのエンジン音ですが、欧州の排気ガス規制基準(ユーロ・エミッション)への適合から、2000年代以降に登場したベスパは4ストロークエンジン+オートマ(Vベルト式CVT)の組み合わせを採用するようになりました。映画の中のベスパは、125ccです。

真実の口

ベスパで暴走したアン王女とジョーは警察につかまることになりました。2人が連れて行かれた警察署には、被害を受けた人々が集まっていました。しかし、ジョーがアメリカン・ニュース社の社員証を署長に見せると、問題はすぐに解決します。被害にあった人たちは、被害品を弁償してもらえることになったのです。
外に出た後の2人の会話から、アン王女は警察署で『結婚式に行く途中で急いでいた』という嘘をついたことが明らかになる。「私も嘘が上手でしょ」と言う王女の言葉を聞いたジョーは、警察署の隣の教会に王女を連れて行くことにします。教会の前柱廊には、真実の口と呼ばれる髭を生やした男の顔の彫刻が置かれています。ジョーは嘘つきが手を入れるとかまれるという彫刻の言い伝えを説明した後、アン王女に手を入れるように言いますが、王女は真実の口に手を入れることができませんでした。結局、ジョーが真実の口に手を入れることになりますが・・ 彫刻の口に手を入れたジョーが「アー!」と大きな叫ぶと、アン王女も悲鳴をあげながらジョーの手を引き抜こうと必死です、ようやく手を出したジョーですが手首が・・・。

グレゴリー・ペックとワイラー監督は、オードリーにちょっとしたいたずらをしました。、本番で真実の口に手を突っ込んだグレゴリー・ペックは本当に手を齧られたように演じました。オードリーは驚きのあまり、本気で叫び声をあげ、素のリアクションを見せました。この自然な演技は、二人を十分満足させるものであり、1テイクでOKがでました。

この「ローマの休日」の名場面が撮影されたのは、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会。映画ではこの教会の隣の建物が警察署という設定です。警察署を出た後にアン王女たちが会話するシーンの背後には、ポルトゥーノ神殿(フォルトゥーナ・ヴィリーレ神殿)やエルコレ・ヴィンチトーレ神殿(エルコレ・オレアリオ神殿)が映されています。また、教会の前柱廊に入る場面には噴水も映されています。これらの建造物は、ボッカ・デッラ・ヴェリタ広場(真実の口広場)にあります。
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会は、6世紀頃に創建された教会。この教会は、アドリアーノ1世(772―795年)によって再建された後、度重なる改修を経て現在に至っています。

真実の口がサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の前柱廊に設置されたのは、1632年のことである。しかし、この大理石の彫刻が制作されたのは古代ローマ時代であると考えられています。元々は下水溝のマンホールの蓋であったらしいといわれていて、海神トリトーネの顔が刻まれています。伝説では、手を口に入れると、偽りの心がある者は、手を抜く時にその手首を切り落とされる、手を噛み切られる、或いは手が抜けなくなるといわれています。

祈りの壁

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会を出たアン王女とジョーは、アービングが運転する車で、ローマの市壁の前までやってきます。壁にはたくさんのプレートが掲げられ、小さな祭壇もあり、そこでひざまずいて祈りを捧げる女性も映されています。
このような小さな祭壇は、ローマの街中でもよく見かけます。たとえば、アン王女がトレヴィの泉を見上げるシーンにも、建物の壁に設置された祭壇が映されています。。しかし、このような小さな祭壇に熱心に祈りを捧げる人を現代のローマの街中で見かけることはあまりありません。市壁のシーンで映されている祭壇には特別な意味があるようです。「ローマの休日」の原作におけるジョーの言葉を引用してみましょう。

戦争中の出来事なんだ。空襲があって、ある男が子供を連れて通りを歩いている時に、頭上から飛行機の音が聞こえてきた。近くに防空壕はなく、身を隠す建物もなかったので、弾よけにあの壁に走り、無事であるようにとひたすら祈った。爆撃がつづくなか、彼らのすぐ近くに爆弾が落ちて身を震わせていたが、男も子供も奇跡的にかすり傷1つ負わなかったんだ。それで、後日、家族全員でこの壁に戻ってきて、感謝の印として花を捧げた。それ以来、ここは祈りの壁と言われるようになったんだ。大勢の人が願い事が叶うようにと、この壁を訪れている。祈りが通じて願いが叶うと、最初に感謝を捧げた家族にならって、花や名前を刻んだものを捧げている。(イアン・マクレラン・ハンター(池谷律代訳)、『ローマの休日』、ソニー・マガジンズ、1998年。

アン王女はジョーの説明を聞いた後、プレートが掲げられている壁に近寄り、祈りを捧げます。 祈りの壁として知られていたのは、アウレリアヌス帝(270―275年)によって建設された市壁です。

「ローマの休日」で映された市壁はポリクリーニコ通り付近のものです。現在のポリクリーニコ通りの壁には、プレートや花束は捧げられていないが、撮影用にセットが組まれたというのではなく1950年代、実際にプレートを壁に掲げる現象がありました。しかし、オリンピックがローマで開催されることになり、1960年頃に大規模な都市景観整備が実施され、壁のプレートは取り除かれることになりました。

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